美女と少女との関係は、スイカと塩との関係のような気がする。
スイカと塩とは一見、相容れぬ味覚を刺激するように思えるのだが――
スイカに塩をまぶすことで、スイカの甘みが、かえって増す。
これと同じように――
少女と美女とは、一見、相容れぬ情動を刺激するのだが――
少女に美女性をまぶすことで、少女の魅力が、かえって増す。
同様の議論は、美女をスイカにし、少女を塩にしても、十分に可能なのだが――
僕は美女が好きでないので、少女をメインに考えたい。
少女に美女的要素が加わって美少女が成立すると、考えたいのである。
僕は、
――美女は嫌いで、美少女が好きだ。
などと主張したが――
何ということはない――
スイカに塩をまぶすのが好きか嫌いかという極めて些末的な議論を展開していたことになる。
結局、その根底にあるものは、
――スイカが好き。
ということだけなのだ。
僕にとってのスイカとは、少女である。
では――
なぜ僕は少女が好きなのであろう?
実は、この問いは、僕にとっては、実につまらない。
生物進化論的に回答すれば事足りると、考えざるをえぬからである。
すなわち――
全ての雄にとって、雌の生殖可能期間は、長い方がよい――少なくとも、短いよりは長いほうがよい――それだけ、子孫を残すチャンスが多い――ということだ。
少女は、たいていの成人女性よりも、生殖可能期間が長い。
なぜなら、まだ、その期間が始まって間もない――もしくは、まだ始まってもいない――からだ。
だから、男を惹き付けるのである――遺伝子のレベルで――
いいかれば、少女に魅力を感じる男は、それだけ子孫を残しやすかった、ということである。
あるいは、現世人類の大半は、そうした男の子孫であるに違いない、ということである。
実に、つまらない――
腹が立つ――
――所詮、全ての生命体は遺伝子の運び屋にすぎぬ。
ということは認めざるをえぬにせよ――