美少女の中に美女を見出すということがある。
いや――
美少女は、すべからく美女を内包しているといってよい。
僕は、美少女が大好きで、美女が大嫌いなのだが――
そんな僕でも、美少女の魅力の中核に美女的な要素を見出している事実は否定しない。
そもそも――
美少女と美女との境界は曖昧だ。
両者の観念は連続的に移行する。
美少女と美女との組み合せは――
美女と美人との組み合せほどには背反的でない。
連続的な移行の構造も、決して単純ではない。
左右両極に美女と美少女とを配した構造ではなく――
美少女の中核に美女を配した構造とみなすのがよい。
美少女の魅力の中核には――
美女的要素が鎮座している。
この構造を認めるのは、美少女びいきの僕にすれば、大変に不本意なことではあるのだが――
やむをえまい。
少女が少女として輝くためには――
少女の美女性を排除せねばならない。
美少女の成立には、中核を占めるべき美女性が欠かせない。
美少女という観念は、少女の魅力に美女的要素を侵食させることで成立しうる。
少女の魅力に美女的要素を侵食させることには、多少なりとも背徳の薫が立ちこめる。
よって――
美少女という観念は、その成立条件自体が背徳だといってよい。
僕が美女を嫌い、美少女が好むのは――
美女の周辺には、妙に健康的な雰囲気が漂っているのに――
美少女の周辺には、背徳の薫が立ちこめているからである。