マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

美女と美人と

 昨日の『道草日記』で、

 ――「美女」という言葉が嫌いだ。

 と書いた。
 語感の悪さもさることながら、それが指し示す観念が好きになれない、と――

 ところが、「美人」という言葉は好きである。
 例えば、僕が、

 ――あの女の人って、すごい美人だよね。

 などと褒めるときは――
 褒めている僕だって、嬉しいものなのだ。

「美人」にあって「美女」にないものは何か。

 それは――
 たぶん人間性であろう。

「美女」は、女性の人間性を拭いさる。
「美人」は、女性の人間性を薫らせる。

 さらにいえば――

「美女」には、野性的な響きがある。
「美人」には、文化的な響きがある。

 しばしば、

 ――美女と野獣

 などというが、この言い回しは、両者の属性を対比させているのではない。
 むしろ、類似を強調しているのではないか。

 それゆえに、

 ――美女で野獣

 とか、

 ――美女が野獣

 とか、

 ――美女は野獣

 とかいう変種の言い回しも――
 それなりの説得力を帯びてくる。

 もし、「美女」を「美人」に変えたら、どうなるであろう?

 どうにも座りが悪くなる。

 ――美人と野獣

 では、
(そこの美人さん、危ないよ。早く逃げな!)
 と叫びたくなるし、

 ――美人で野獣

 では、
(そんな人が、いるんかい?)
 と訝るし、

 ――美人が野獣

 では、
(何か痛ましい悲劇が美人を襲ったに違いない)
 と塞ぎ込むし、

 ――美人は野獣

 では、
(それは言語矛盾だろ?)
 と思う。

 美女と美人というのは――
 実は、決して相容れぬ観念ではなかろうか。