マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

物語はウソをつく

 ――物語はウソをつく。

 と思っている。

 こういうと、

 ――何を当たり前のことを!

 と、息巻く向きもあろうが――
 ここでいう「物語」とは、ノンフィクションの物語である。

 例えば、過去の自分についての実話などである。

 物語は、当然ながら、それが実話として語られる限り――
 フィクションを挟むことは許されない。

 多くの人が、それをわかっている。

 わかっていながら――
 非意図的にフィクションが挟まれる。

 人が語る実話とは、えてして、そういうものである。

 その実話が、物語としての体裁を保つということ――それ自体が、実話の全部なしい一部を、非顕然的に虚構化させる。
 物語の生成機序について、一度でも深く考えてみれば、すぐにわかることである。

 それは、さながら物語の業といってもよい。

 だから――
 僕は、

 ――これは実話である。

 とかいう題目を信じない。

 ――実話に基づく――

 とかいう題目も、同様に信じない。

 実話を語るということは、通常、困難を極める。
 必ずといってよいほど、虚構化の網に引っ掛かっているものだ。

 物語を紡ぐとき――
「これは実話である」とか「これは実話に基づく」とかいう看板は、安易に用いるべきではない。

 そうした看板を掲げた物語は、かえって虚飾に満ちているとみなすくらいが、ちょうどよい。