――ズルをしてカネをもらう。
これは、よくない。
ズルをしているのだから――
では、ズルをしなければ、カネをもらってもいいのか。
もちろん――
よい。
でなければ、世の中の全ての生業が成り立たぬに違いない。
つまり――
カネをもらったか、もらわなかったかが、大事なのではなくて――
ズルをしたか、しなかったかが、大事なのだ。
賄賂のことである。
*
防衛省の前事務次官が収賄の容疑で逮捕された。
昨日のことだ。
夫婦そろっての収賄であったらしい。
よって、逮捕も夫婦そろってのことであった。
報道によれば――
まさに、「たかり」としか、いいようがなかった。
防衛関係商社の役員に、何度も何度も接待を強要したという。
強要された役員も、最後はウンザリしていたのではなかったか。
ところで――
この夫婦にズルをしているという感覚はあったのか。
おそらくは、なかったであろう。
あれば、もう少し控え目に済ませていたはずだ。
それができなかったということは――
夫婦そろって、世間知らずであったことを示唆する。
カネを稼ぐことの厳しさや嫌らしさを、ほとんど知らなかったのではないか。
が、そのようなことはよい。
どうせ水掛け論になる。
ズルをした自覚のない者たちを捕まえて、
――お前たちはズルをした!
と糾弾しても、大した益はない。
後は司法の手に委ねればよい。
僕が気になったのは――
報道機関のほうである。
――この夫婦がズルをした。
という感覚を、しっかりと持っているのであろうか。
カネを、接待を受けるという形で、もらっていた――
その事実は、重々、承知しているようである。
当たり前だ。
そこは子供にもわかる切り口である。
が、前述の通り、カネをもらうこと自体は悪ではない。
ズルをしたかどうかが問題なのだ。
その観点からの報道が、極端に少ない気がする。
報道をみるかぎり、この夫婦がカネをもらっていたことは、よくわかった。
その額が結構なものであるということも、よくわかった。
が、どのようなズルをしていたのかは、いまひとつ明確に伝わってこない。
ここでいう「ズル」とは、
――防衛省の事務次官が特定の防衛関係商社と懇意にしたことで、当然、守られるべき日本の国益が失われた、ということ。
である。
つまり、「どのようなズルか」とは「失われた国益は何か」に等しい。
報道機関は、そこを深く追求してもらいたい。
単に、
――あいつら、カネをもらってた。汚い連中だ。
だけでは、子供のケンカと同じである。