忘れられぬアニメーション作品がある。
高校時代にみたものだ。
『トップをねらえ!』という。いわゆるロボット・アニメの一つである。
ガイナックスで1988年に制作された。原作・脚本は岡田斗司夫さん、監督は庵野秀明さんが務めた。
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僕はロボット・アニメが好きではない。
たいていの作品は避けている。
理由の一つは、主人公の多くが少年だからだ。
その点、『トップをねらえ!』は問題がない。
主人公は少女である。
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高校時代にみたバージョンは、たしかTV放映であったので――
印象は断片的であった。
それでも強烈だった。
なぜ強烈だったのかさえ、わからなかった。
その後――
20代になってビデオで1、2回ほど見直した。
そして、先日――
ひょんなことから今度はDVDで見直すことになった。
昨日の『道草日記』で、
――僕が闘う少女に魅せられるわけ
などを語ったのは、そうしたことによる。
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曰く付きの作品である。
当時、制作スタッフたちは、前衛的な他作の興行的失敗により、多額の負債を抱えていたという。
次作での失敗は許されなかった。
そこで狙い打ちにされたのが男性アニメ・オタク層であった。
だから――
この作品では、例えば女性パイロットの衣装が無意味にレオタードであったりする。
10代のマル太も、そうした奸計に見事にハマった一人かもしれない。
ところが――
20代のマル太は、もう少し違った側面に惹かれていた。
それは――
時間の流れの歪みである。
主人公の少女は、ロボットに乗って宇宙を転戦する。
そうした戦いの最中、地球上では、いわゆる一般相対論のウラシマ効果によって、数十倍も速く時間が流れている。
主人公は10代後半の少女のままなのに、地球上では何十年もの時間が過ぎている。
かつての同級生が、子をなし、親となり、やがて、その子が主人公と同年輩になっていく――そうした様子が、多少、控えめに描かれていく。
そのようにして、一人、地球上の時間に取り残されてなお――
少女は宇宙の戦いに加わり続ける――
それが、さも当然であるかのように――
20代のマル太が惹かれた「時間の流れの歪み」とは、そうしたものであった。
ところが――
これは、つい昨日、知ったことだが――
こうした「時間の流れの歪み」は『トップをねらえ!』がオリジナルではなかった。
アメリカの作家ジョー・ホールドマンの作品に『終わりなき戦い』という傑作がある。
一般相対論のウラシマ効果をモチーフとした作品だ。1970年代に発表された。
おそらくは、これがオリジナルである。
ホールドマンは大学時代に物理学や天文学を専攻した。
そのような素養がなければ、ウラシマ効果を、あそこまで巧みに昇華できるとは思えない。
『終わりなき戦い』の主人公は青年だ。
少女ではない。
だから――
僕は、この物語の存在を高校時代には知っていたのだが――
ほとんど興味を覚えなかった。
それどころか――
『終わりなき戦い』と『トップをねらえ!』との共通点に気付きもしなかった。
共通点は「時間に取り残される主人公」である。
相違点は「青年か少女か」である。
そう――
「時間に取り残される主人公」が「少女」であったからこそ――
僕は『トップをねらえ!』に惹かれていった。
結局、辿り着くのは、そこなのだ。
すなわち、「闘う少女」というキャラクターの造形様相である。