マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

やはり「闘う少女」に辿り着く

 忘れられぬアニメーション作品がある。
 高校時代にみたものだ。

トップをねらえ!』という。いわゆるロボット・アニメの一つである。
 ガイナックスで1988年に制作された。原作・脚本は岡田斗司夫さん、監督は庵野秀明さんが務めた。

     *

 僕はロボット・アニメが好きではない。
 たいていの作品は避けている。

 理由の一つは、主人公の多くが少年だからだ。
 
 その点、『トップをねらえ!』は問題がない。
 主人公は少女である。

     *

 高校時代にみたバージョンは、たしかTV放映であったので――
 印象は断片的であった。

 それでも強烈だった。
 なぜ強烈だったのかさえ、わからなかった。

 その後――
 20代になってビデオで1、2回ほど見直した。

 そして、先日――
 ひょんなことから今度はDVDで見直すことになった。

 昨日の『道草日記』で、

 ――僕が闘う少女に魅せられるわけ

 などを語ったのは、そうしたことによる。

     *

 曰く付きの作品である。

 当時、制作スタッフたちは、前衛的な他作の興行的失敗により、多額の負債を抱えていたという。
 次作での失敗は許されなかった。

 そこで狙い打ちにされたのが男性アニメ・オタク層であった。

 だから――
 この作品では、例えば女性パイロットの衣装が無意味にレオタードであったりする。

 10代のマル太も、そうした奸計に見事にハマった一人かもしれない。

 ところが――
 20代のマル太は、もう少し違った側面に惹かれていた。

 それは――
 時間の流れの歪みである。

 主人公の少女は、ロボットに乗って宇宙を転戦する。
 そうした戦いの最中、地球上では、いわゆる一般相対論のウラシマ効果によって、数十倍も速く時間が流れている。
 主人公は10代後半の少女のままなのに、地球上では何十年もの時間が過ぎている。
 かつての同級生が、子をなし、親となり、やがて、その子が主人公と同年輩になっていく――そうした様子が、多少、控えめに描かれていく。

 そのようにして、一人、地球上の時間に取り残されてなお――
 少女は宇宙の戦いに加わり続ける――
 それが、さも当然であるかのように――

 20代のマル太が惹かれた「時間の流れの歪み」とは、そうしたものであった。

 ところが――
 これは、つい昨日、知ったことだが――
 こうした「時間の流れの歪み」は『トップをねらえ!』がオリジナルではなかった。

 アメリカの作家ジョー・ホールドマンの作品に『終わりなき戦い』という傑作がある。
 一般相対論のウラシマ効果をモチーフとした作品だ。1970年代に発表された。
 おそらくは、これがオリジナルである。

 ホールドマンは大学時代に物理学や天文学を専攻した。
 そのような素養がなければ、ウラシマ効果を、あそこまで巧みに昇華できるとは思えない。

『終わりなき戦い』の主人公は青年だ。
 少女ではない。

 だから――
 僕は、この物語の存在を高校時代には知っていたのだが――
 ほとんど興味を覚えなかった。

 それどころか――
『終わりなき戦い』と『トップをねらえ!』との共通点に気付きもしなかった。

 共通点は「時間に取り残される主人公」である。
 相違点は「青年か少女か」である。

 そう――
「時間に取り残される主人公」が「少女」であったからこそ――
 僕は『トップをねらえ!』に惹かれていった。

 結局、辿り着くのは、そこなのだ。
 すなわち、「闘う少女」というキャラクターの造形様相である。