マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

イヤなことはイヤなことで

 イヤなことから、何か元気の源のようなものを取り出せれば――
 人生、こんなに楽なことはない。

 イヤなことに遭って、イヤな思いをし、元気をなくしてしまうのが人間だから――
 人生というものは、長く、ツラく、苦しいのだ。

 イヤなことから、何か元気の源のようなものを取り出すことが――
 はたして、僕ら人間には可能なのだろうか。

 そんな永久機関のような処世が――
 実行できるものであろうか。

 実行できると主張する人たちがいる。

 そういうことを啓発本に書き――
 読者を、その気にさせている人だって、あるらしい。

 それは、それで結構なことである。

 科学的には、実現が不可能である永久機関といえども――
 相応のトリックを使えば、さも実現可能であるかのようにみせかけることができるように――
 イヤなことから、元気の源のようなものを取り出すことも――
 何かトリックを使えば、実行可能かもしれない。

 が、トリックに頼ってまで、永久機関を実現させようとは思わない。
 しょせん、それは詐欺の類いである。

 イヤなことに遭ったなら――
 素直にイヤな思いになって――
 そのまま元気をなくしてしまえばいい。

 元気をなくしたときは――
 休息のときと考える。

 長く、ツラく、苦しい人生を過ごし抜く上で――
 ホッと一息をつけるときと考える。

 イヤなことから、わざわざ元気の源を取り出さなくても、いいではないか。
 イヤなことは、イヤなことで、いいではないか。