マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

思考の伝達

 随筆に、
(ああいうことを書こう、こういうことを書こう)
 と思って――
 あれこれとネットで調べものをしているうちに――
(まあ、書かなくていいか)
 と、やる気をなくすことがあります。

 以前は、たまにしかなかったのですが――
 ここ1、2年は、しょっちゅうです。

 例えば――
 ある歴史上の人物について書こうと思い、あれこれと調べているうちに、

 ――ここはキッチリと調べておくべき――

 と感じられることが、次第に多くなっていき――
 仕舞いには、
(もう、どうでもいいよ!)
 となってしまうのですね。

 調べすぎると何も書けなくなります。

 それでも何か書こうと思ったら――
 もう、徹底的に調べるしかない。

 学者さんのレベルで調べないといけない。

 でも――
 そんなことをやっていたら、あっというまに時間が経ってしまう。

 学者さんが一生をかけて調べるようなことを、幾つも幾つも調べることなどは、できようはずもありません。
 どこかで見切りをつけるしかない。

 3、4年で見切りをつけるか――
 3、4ヶ月で見切りをつけるか――

 あるいは――
 3、4週間で見切りをつけるか――
 3、4日で見切りをつけるか――

 はたまた――
 3、4時間で見切りをつけるか――
 3、4分で見切りをつけるか――

 場合によっては――
 3、4秒で見切りをつけないといけません。

「3、4秒」ということは、

 ――何も調べない。

 ということですが――(笑

 何かを書くということが、情報の伝達であるならば――
 調べることに価値はあります。

 が――
 思考の伝達であるならば――
 調べることに、さほどの価値はありません。

 たぶん、僕は――
 何かを書くということは、思考の伝達だと思っているのです。