社会的地位が高くなるということは、煩雑な仕事を押し付けられるようになる、ということでしかないのですが――
ときどき、それがよくわかっていない人をみかけます。
「社会的地位が高い」とは「偉ぶってもワガママをいっても許される」ということだと、本気で信じているようにみえる人です。
そういう人を社会的地位の高みに据えることは――
長い目でみれば、本人の不利益ですし――
何よりも、周囲の人々が迷惑をします。
ここでいう「社会的地位が高い」とは、わかりやすい例でいえば、「出世をしている」ということです。
会社や役所などで、重要な役職にある、ということです。
若い人々の中には、ときどき、臆面もなく、
――出世をしたい。
と宣言をする人がいます。
気がかりなことです。
もちろん、その人があまりにも若ければ、それなりに微笑ましいことですが――
20代も半ばになって、依然として、そのようなことをいっているようだと、
(大丈夫かな)
と、首を傾げたくなります。
もし、その人が、
――出世をするということは、面倒な仕事を多く引き受けるということだ。
と、わかってさえいれば――
たとえ自己陶酔的な野心があったとしても、
――出世をしたい。
という言葉には、ならないと思うのです。
例えば、
――そういう機会を与えられれば、逃げはしない。
とか、せいぜい、
――そういう機会には積極的にチャレンジしたい。
とか――
そういった表現になることでしょう。
ちなみに、僕の「大丈夫かな」という懸念は、「出世をしたい」と宣言をしている当人への心配ではありません。
当人は、いいのです。
かりに痛い目にあったとしても、それは自業自得ですから――
困るのは、その周囲にいる人たち、あるいは、将来、その周囲にいることになる人たちです。
深刻な不利益を被ることは、まず間違いありません。
社会的地位の高みに耐えられる人かどうかを見分けるには、どうしたらいいでしょうか。
厳密な見分け方は色々にあると思いますが――
誰でも簡単に見分けられる方法が一つあると、僕は思っています。
それは、周囲の人々に愚痴をもらしているかどうかです。
愚痴をもらすような人は、たいていは社会的地位の高みに耐えられません。
他人よりも多くの面倒事を引き受けるわけですから、耐えられるわけがありません。
やがて、その「愚痴」が「怠慢」や「責任転嫁」へと進展することでしょう。
ただし――
まわりの気分を和ませるために、愚痴を巧く活用している人もいます。
そういう人は、愚痴に抑制がきいており、他人を不快にはさせません。
社会的地位の高みにも十分に耐えられる人とみてよいでしょう。