マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋愛の物語はホラーである

 昨日の『道草日記』で、

 ――恋愛の物語には興味がもてない。

 というようなことを書きましたが――
 なぜ、そうした物語に僕が飽きてしまったかというと、
(結局、恋愛って、不安でしょ?)
 と思ってしまったからなのです。

 恋愛の物語の多くは、恋愛の喜びよりは、恋愛の不安が標的です。
 恋愛感情を抱いた登場人物の多くは、深刻な不安に苛まれながら、一つひとつの局面を何とか乗り切っていくうちに、やがて一つの結果に終着します。

 その終着点は、ハッピーエンドであったりバッドエンドであったりして、決して一様ではありませんが――

 でも――
 終着点の有り様などは、実は、どうでもよくて――
 実際には、その終着点に至るまでの過程が肝心なのです。

 そして、その過程は、たいていは一様に不安で彩られている。
 例えば、

 ――彼女は僕をどう思っているのか?

 とか、

 ――私は彼をこんなにも好きなのに……。

 とか――

 そういった心理の根底にあるものは、やはり、

 ――不安

 といわざるをえませんよね。

 だから、

 ――恋愛の物語とは、不安の物語である。

 と極言できると思うのです。

 こうした恋愛の物語のカラクリには、なかなか気づきません。
 とくに、自分の恋愛経験が乏しい場合には、どうしても、そうなってしまいます。

 だからこそ、若い人ほど恋愛の物語に夢中になれる――

 でも、歳を重ね、しだいに自分の恋愛体験が蓄積されていくと――
 このカラクリに気づき始めます。

 そうなってしまうと、恋愛の物語には夢中になれなくなる。
 不安の物語なんて、誰が好んで夢中になりますか――

 あ、いや――
 夢中になる人もいますね。

 結構、います。

 実は、そちらが多数派なのかも――(笑

 僕が、不安の物語を好きでない、というだけのことですね。

 なお――

     *

 とりあえず、ここまでは「不安」として、話を進めてきましたが――

 実は、正確には、そうではありません。
 不安とは、

 ――対象なき恐怖

 と考えられています。

 が、恋愛の物語の「不安」では、多くの場合、恐怖の対象が暗示されてしまっています。

 ――失恋

 です。

 例えば、

 ――彼女は僕をどう思っているのか?

 という不安では、

 ――「彼女は僕のことを本当は何とも思っていない」という可能性

 が対象であり、

 ――私は彼をこんなにも好きなのに……。

 という不安では、

 ――「彼は私をゼンゼン好きではない」という可能性

 が対象です。

 対象が暗示されてしまった不安は、むしろ「恐怖」といったほうがよい。

 だから――
 恋愛の物語は――実は不安の物語ですらなくて――恐怖の物語である、ということになります。

 つまり、

 ――恋愛の物語はホラーである。

 と――(笑

 ちょっとマユツバですね。

 でも、僕にとっては、妙に納得できる結論なのです。