マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「不安」の対義語は何か・再考

 ――「不安」の対極は「不穏」である。

 ということを――

 おとといの『道草日記』で述べました。

 

 ところで――

 

 2018年1月2日の『道草日記』で――

 僕は、

 ――「不安」の対義語は何か。

 と問うていました。

 

 すっかり忘れていました(笑

 

 たった2年前のことなのに――

 いけませんね。

 

 どうしたのでしょう。

 

 もう歳でしょうか。

 

 まだ40代なんですがね。

 

 ……

 

 ……

 

 で――

 

 その時の僕は何と述べているのか――

 といいますと――

 

 ……

 

 ……

 

 ――不安

 の対義語として、

 ――期待

 は適当でないし、

 ――希望

 も適当でないし、

 ――高揚

 も適当でない――

 とした上で――

 

 最終的には――

 翌日の『道草日記』で、

 ――不静(ふせい)

 という造語を示し、

 ――これが「不安」の対義語ではないか。

 と述べています。

 

 ……

 

 ……

 

 その根拠とした理屈は――

 以下の通りです。

 

 ――不安

 とは、

 ――対象なき恐怖

 である――

 

 ――恐怖

 の対義語は、おそらくは、

 ――切望

 である――

 

 よって、

 ――「不安」の対義語

 は、

 ――対象なき切望

 である――

 

 そのような感情を漢字2字で表すなら、

 ――不静

 が適当である――

 

 ……

 

 ……

 

 今の僕は――

 この見方に与しません。

 

 ――恐怖

 も、

 ――切望

 も、対象が明確になっている場合の感情であるため――

 意識が十分に働いていることが必要です。

 

 よって、「恐怖」も「切望」も純粋な感情ないしは情動とはいいきれない――

 

 もちろん、

 ――対象なき恐怖

 や、

 ――対象なき切望

 といっているわけですから――

 それらに意識の働きが関わる余地はないはずですが――

 

 (考え方が悪い)

 と、今の僕は思うのです。

 

 「不安」のような意識の働きが関わりがたい純粋な感情ないし情動を考える上で、意識の働きが関わる「恐怖」や「切望」を手がかりにするのは、

 (方法として間違っている)

 ということですね。

 

 よって――

 今の僕は、

 (「不安」の対義語として、わざわざ「不静」のような造語を考える必要はない)

 と考えています。