マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋愛が物語になる条件

 僕は恋愛の物語が好きではありません。
 嫌いでもありませんが、好きでもない――あまり関心がもてないのです。

 恋愛に関心がもてないということではなく――
 焦点を恋愛に絞っている物語に面白みを感じられない、ということですね。

 恋愛は人間社会で普遍的にみられる現象ですから――
 人間社会を扱う物語であれば、どんな物語であっても、恋愛が必然的に絡むでしょう。

 だからこそ、
(わざわざ恋愛に焦点を絞らなくったっていいじゃないか!)
 と思います。

 もし、どうしても恋愛に焦点を絞るなら――
 およそ恋愛が絡んできそうにない舞台設定や登場人物に着目するとよいでしょう。

 人間社会じゃない舞台に登場する非人間的な存在が織り成す物語――です。

 そこまで徹底はしなくても――
 例えば、老翁を主人公にするだけで、かなり違ってくるはずです。

 以前から思っていたことですが――
 老翁を少年にかえるような恋愛というのは、小説に打ってつけですね。

 この「老翁」は、読者であってもいい。
 例えば、老人の読者に童心を取り戻させるような恋愛小説は、間違いなく一級品です。

 もちろん、若い男女の恋愛も悪くはありませんが――
 そういう恋愛だったら、わざわざ小説にしなくても、そこらじゅうに溢れています。

 しかも、ある一定の人生経験を積んだ者ならば、虚構でない現実の恋愛を知っている。
 知っているというより、身を以て体験している。

 物語にするのなら、ちょっと現実ではお目にかかれそうにない恋愛にしなければ、面白くありません。

 もちろん、世間で通用している恋愛の物語の全てには、そのような工夫がこらされているわけですが――
 登場人物たちから若い男女を外すことが、最も確実な工夫ではないでしょうか。

 そういう恋愛小説だったら、僕も関心がもてますね。