――数学は人文科学である。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
そのように、少なくとも僕は考えていますので――
例えば、優れた恋愛小説を読んでいるときには、まるで数学の問題の鮮やかな答案を読んでいるかのような錯覚を感じることがあります。
登場人物たちの込み入った恋愛事情が、物語の結末に向かって一つに収斂していく様子は――
出題者によって与えられていた諸条件が、答案の結論に向かって一つに収斂していく様子に似ています。
恋愛小説の恋愛事情は、ハッキリいえば、作り物――つまり、虚構――です。
(そんなこと、ありえないだろ!)
とか、
(それは、作りこみすぎだろ!)
とか――いろいろと突っ込みを入れたくなる設定や展開が目立ちします。
が、そうした“作り物”感が恋愛小説の面白さに悪影響を与えることは、ほとんどありません。
その恋愛小説が、小説として、しっかり整っていれば、どんなに不自然な設定や展開が目立っても、読後感は悪くないのです。
(まあ、小説だからね)
で、許せてしまう――
それは、数学の問題で出題者によって与えられた条件が、どんなに不自然であっても、その問題を解く面白さに影響を与えないのと同じです。
(まあ、数学だからね)
で、許せてしまう――
物理学や生物学などの問題では――
たぶん、こうはいかないのです。
以上のようなわけで――
自然科学者の多くは、
――いくら数学をたくさん学んでも、自然のことはわからない。
というのですが――
同じことは――
恋愛についてもいえます。
――いくら恋愛小説をたくさん読んでも、実際の恋愛のことはわからない。
恋愛小説は、数学のようなものです。
実際の恋愛は、自然です。