マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋愛感情の強さには偏りがある

 誰かが誰かに恋愛感情を抱き――
 その恋愛感情を抱かれた“誰か”が、抱いた“誰か”の恋愛感情を受け入れることこそが――
 狭義の「恋愛」である――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 実は――

 きのうまでの話で――
 やや不自然な前提を一つもうけております。

 それは、

 ――誰かが誰かに恋愛感情を抱くとき、恋愛感情を抱かれたほうの人は、抱いたほうの人に恋愛感情を抱かない。

 という前提です。

 こういうことは――
 現実の恋愛(広義の「恋愛」)では――
 たぶん滅多になくて――

 例えば――
 あなたが誰かに恋愛感情を抱かれたとして――
 その“誰か”が、もし、あなたにとって十分に恋愛の対象となりうるのであれば――

 あなたも――
 少なからず恋愛感情を抱くようになるのが、ふつうです。

 つまり――
 誰かが誰かの恋愛感情を受け入れるときに――
 2人の恋愛感情の強さが、

  10 : 0

 に偏るということは――
 ほぼ起こらないのです。

 その意味で――
 「誰かが誰かに恋愛感情を抱くとき、恋愛感情を抱かれたほうの人は、抱いたほうの人に恋愛感情を抱かない」という前提は――
 かなり不自然なのですが――

 にもかかわらず――
 こうした前提をもうけている理由は――

 誰かが誰かの恋愛感情を受け入れるときに――
 2人の恋愛感情の強さが、

  5 : 5

 で厳密に均衡するようなことも、また――
 ほぼ起こらないからです。

  6 : 4

 とか、

  7 : 3

 とか――

 場合によっては、

  8 : 2

 とか、

  9 : 1

 とかも――
 あるでしょう。

 こう述べると、

 ――いやいや、うちは違いますよ。等しく  5 : 5  だったし、今も等しく 5 : 5 だ。

 と反論されることが――
 ときどき、あるのですが――

(本当にそうかなぁ)
 と――
 思います。

 もちろん、「5 : 5」ということにしておいたほうが――
 波風が立たないのは間違いありませんが――

 それとは別に――
 たしかに、当人同士には「5 : 5」と感じられるような事例でも――
 実際には、

  5.1 : 4.9

 かもしれないし、

  5.5 : 4.5

 かもしれない――

 ……

 ……

 恋愛感情というのは――
 生物種としてのヒトの脳で起こる生命現象――少なくとも、そうした生命現象を何らかの形で反映している現象――です。

 ヒトの脳は自然ですから――

 つまり――
 恋愛感情は自然現象の一種といえます。

 2つの相異なる自然現象の甚だしさが真に等値ということは――
 少なくとも確率論的には、きわめて考えにくいのですね。

 ――2人の恋愛感情の強さには、常に偏りがある。

 と考えるほうが――
 確率論的には、ずっと考えやすい――

 この、

 ――偏りがある。

 ということを重くみるならば――

 2人の恋愛感情の強さを比べるときに――
 少なくとも、

  10 : 0

 を前提にするほうが、

  5 : 5

 を前提にするよりは現実的である――

 そう思います。