マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

広義の「恋愛」、狭義の「恋愛」

 誰かの恋愛感情を受け入れて――
 その“誰か”と恋愛関係になる意志を示すことは、

 ――愛

 であって、

 ――恋

 ではない――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 「愛」は、「恋」と違って、意味が広いのですね。

 「恋」とは、

 ――誰かに恋愛感情をもつこと

 ただ、それだけです。
 単純明快ですね。

 が――
 「愛」は、そうではありません。

 ……

 ……

 そもそも――
 恋愛感情を受け入れることだけが、「愛」ではありません。

 恋愛感情を受け止めることも、「愛」です。

 恋愛感情を受け止める愛は――
 自分に恋愛感情を抱いた人が、たとえ誰であろうとも、その人に対し、同じ人として、礼節を示すこと――
 ですから――
 この愛は、

 ――博愛

 です。
 つまり、

 ――すべての人を等しく愛すること

 ですね。

 では――
 恋愛感情を受け入れる愛は、どんな愛なのか――

 ……

 ……

 僕は――
 これこそ、

 ――恋愛

 だと思うのです。

 ……

 ……

 どういうことか――

 ……

 ……

 ふつう、「恋愛」という言葉は、

 ――特定の相手と恋人関係になること

 くらいの意味で用いられます。

 が――
 これを広義の「恋愛」として――
 これとは別に――
 狭義の「恋愛」を定めてもよいのではないか、と――
 僕は思うのです。

 すなわち、

 ――誰かの恋愛感情を受け入れる愛

 のことも――
 文脈に応じて、ときには、

 ――恋愛

 と呼ぶ――
 というように――

 ……

 ……

 僕は――
 20代の頃から、
(「恋愛」の「愛」って、どんな愛なんだ?)
 と――
 ずっと不思議に思っていました。

 今は――
 こう思っています。

 「恋愛」には、広義の「恋愛」と狭義の「恋愛」とがあって、

 ――誰かの恋愛感情が、狭義の「恋愛」によって応えられて、そのことによって始まる人間関係が、広義の「恋愛」である。

 と――

 ……

 ……

 ちょっと、ややこしい話になってしまいますが――

 たぶん、そういうことなのです。