マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“閉じた恋愛芸術”と“開いた恋愛芸術”と

 芸術を、

  恋愛芸術

  非恋愛芸術

 の2つに分ける考え方について、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう“恋愛芸術”は、さらに2つに分けられると思っています。

  閉じた恋愛芸術

  開いた恋愛芸術

 の2つです。

 

 小説を例にとりましょう。

 “閉じた恋愛芸術”とは、作品の登場人物同士の恋愛を描くことをいいます――通常は、主人公と準主人公との恋愛です。

 これに対し、“開いた恋愛芸術”とは、作品の登場人物と読者との恋愛を醸し出すことをいいます――通常は、主人公と読者との恋愛です。

 

 ――主人公と読者との恋愛など、ありえない。

 と訝る向きもあるでしょう。

 が、

 (ありえなくない)

 と、僕は思っています。

 例えば、片思いと失恋とを繰り返す女性主人公に男性読者が感情移入をするあまり、その女性主人公に対して恋愛感情を抱くようになる、といった演出は、工夫しだいで十分に可能です――もちろん、その場合には、恋愛感情は男性読者による女性主人公への完全なる片思いに終始するわけですが――

 

 こうした演出は、コンピュータ・ゲームなどでは、かなり頻繁になされています。

 例えば、ゲームのヒロインに男性プレイヤーが恋愛感情を抱くことを想定しているように思われる作品は、まったく珍しくありません。

 コンピュータ・ゲームのプレイヤーは小説の読者よりも能動的に作品へ関わりますので、そのような演出がなされやすいのでしょう。

 小説と違い、コンピュータ・ゲームの場合は、必ずしもプレイヤーの片思いに終始しないで済む点も、大きいに違いありません――プレイヤーによる作品への関わり方に応じた演出の個性化が可能だからです。