――恋愛と芸術とは相性が良い。
と、きのうの『道草日記』で述べました。
少し違った視点から考えてみましょう。
恋愛も芸術も、どちらも、
――粋(いき)
と、
――野暮(やぼ)
という2つの視点から考えることができます。
「粋」も「野暮」も、日本の江戸期に成立した概念と考えられています――日本語圏に特有の美意識とみなされることが多いようです。
「粋」の対義語が「野暮」です。
よって、
――「粋」と「野暮」との2つの視点
というよりは、
――「粋」から「野暮」への1本の評価軸
というほうが正確かもしれません。
「粋」や「野暮」を語る上、しばしば用いられる言い回しは、
――「粋」とは何かを考えたり語ったりすることは野暮の極みである。
というものです。
つまり、「粋」という概念は、それを言葉で定義しようとする発想それ自体の対極に位置づけられている、ということです。
いってみれば、
――「粋」とは何か。それは、わかる人にはわかる。
ということです。
――わかる人にはわかる。
これは芸術に典型的な性質でした――きのうや5日前の『道草日記』で述べた通りです。
つまり、“「粋」から「野暮」への評価軸”は、「芸術の評価軸そのもの」とはいえないまでも、かなり、それに似た評価軸といえます。
一方――
「粋」も「野暮」も、元来は、男女の恋愛の営みから生まれた概念であると考えられています。
江戸期、異性の色気が洗練されている様子を、
――粋だね。
と評したりしていたようです。
つまり、“「粋」から「野暮」への評価軸”は、「恋愛の評価軸の全て」とはいえないまでも、「数ある恋愛の評価軸の中の重要な1本」ということはできます。
このように――
恋愛と芸術とは「粋」や「野暮」で通底しているといってよいでしょう。