マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

カネと時間と

 ――カネか時間か?

 と問われれば、

 ――時間

 と答えるでしょうね。

 もちろん、最低限のカネがなければ時間もとれませんから、ある程度のカネは必要ですが――
 もし、ある程度のカネがあるのなら、それ以上のカネよりは時間のほうが貴重だということです。

 が――
 世の中には、生きているうちに使い切れぬほどの額のカネを稼ぐ人がいます。

 そういう人にとっては、カネは生活の必需品ではなく、自己評価の指標なのでしょう。
 この世に生を受けた自分の価値を、カネの量で置き換えているのだろうと思います。カネは、指標としては、わかりやすいですからね。

 自分の価値を、時間の量で置き換える発想はないか、と考えてみます。

 いえ――
 何か高尚なことを考えているのではありません。

 例えば、

 ――俺の年収は3000万だ。スゴい人生を送ってるぜ。

 みたいに(苦笑)わかりやすく置き換えるということです。

 ――俺の余暇は3000時間だ。スゴい人生を送ってるぜ。

 というように――

 う~ん(笑
 今ひとつ迫力不足ですね。

 余暇が3000時間ということは125日分の休日ですから、もし、それが全て有給休暇ならば、かなり「スゴい人生」だとは思うのですが――
 でも、そこに「年収3000万」のような生々しさはないですね。

 この違いは、どこから来るのかというと――
 おそらく、

 ――時の非偏在性

 だと思います。

 富は偏在するけれども、時は偏在しない――万人に等しく与えられている――それが「時の非偏在性」です。

 もちろん、「時の平等性」と言い換えてもよいのですが――
 それだとヤケに軽い感じがするので、やめておきます(笑

 時が偏在する世界というのを夢想してみましょう。
 その世界では、時間がカネと同程度の生々しさをもっているはずです。

 ――俺の余暇は3000時間だぜ。

 と、目をギラつかせながら宣言する男だって、いるかもしれません。
 時が偏在するのですから、たぶん、余暇の時間に上限はないでしょう。

 ――俺の余暇は3000万時間だぜ。

 というのも、ありかもしれない――

 あ、これって、いわゆる不老不死ですね。
 3000万時間というのは、3000年分以上に相当します。

 それで、今、気づきましたが――
 昔の億万長者が不老不死の妙薬を求めた動機は、その辺にあったのかもしれませんね。

 自分の価値を、カネではなく、時間で置き換えようとすると、不老不死に行き着くようになっているのかもしれません。