マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

基本は作文

 ――文章は上手だが、質の悪い文芸

 というものは成り立ちうるが、

 ――文章は下手だが、質の良い文芸

 というものは成り立たない――
 そう主張する人がいます。

 たしかに、その通りだと、僕も思います。

 例えば、小説を読んでいて、
(うわ、この人、文章うまいな~)
 と感じつつ、
(でも、つまんねえ小説だなあ)
 と思うことはあっても――

(うわ、この人、文章へただな~)
 と感じつつ、
(でも、おもしれえ小説だなあ)
 と思うことは、まず、ありません。

 つまり、「文章が巧い」という条件は、質の良い文芸が成り立つための必要条件であって、十分条件ではないのですね。

 なので――
 ある作家さんは、カルチャーセンターなどで人に小説の書き方を教える場合に、ほとんど文章の書き方だけしか教えないのだそうです。

 結果として――
 小学生の作文の授業みたいになるのだとか――

 それで、なかには怒る人もいるそうですが、

 ――そうやって怒る人は、文芸のことがよくわかっていない。

 と考えるのだそうです。

 たしかに、そうでしょうね。

 小学生の作文の授業は、奥が深いですよ。
 真面目に授業をしようと思ったら、そりゃもう、大変です。
 例えば、

 ――『私のお母さん』という題で作文を書きなさい。

 というような課題を想定してみましょう。
 これを完全に消化するには、高度な技術と豊富な経験(ときに人生経験)とが必要です。

 小学生相手に授業をするから、ほどほどで誤摩化せるのであって――
 大人相手に授業をするのは、かなりの荒行ですよ。

 ですから――
 もし、プロの作家が、カルチャーセンターやTVの教育番組などで、そのような授業をしていたら、ぜひ、ご覧になるとよいでしょう。

 一見の価値はありますよ。