マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人を寄せつけない美しさ

 いわゆる銃器愛好者の人が、銃器のデザインの美しさを、その機能性に絡めて論じている文章に触れたことがあります。

 僕自身は、銃器に特に関心はありません。
 むしろ、
(銃のどこが美しいの?)
 と訝る部類です。

 が、

 ――銃の美は、その殺傷性に端を発している。

 という説明には、
(なるほど――)
 と唸ったことがあります。

「殺傷性」というのは、穏やかではありませんね。
「弾丸発射能力」とでも呼び換えましょうか。

 とにかく――
 銃器は、弾丸を発射することだけに集中したデザインであるゆえに、美しさを纏うのだ――という考えに――
 僕は一定の説得力を感じるのです。

 といいますのは――
 同じようなことが人間にもいえると思っているのです。

 例えば、工場や店鋪などで一心不乱に働いている人は、美しいとは感じませんかね。

 僕は感じるのです。

 老若男女を問わず、無我夢中で体を動かしている人の姿は、実に美しい――
 その美しさは、敢えていえば、非人間的な美しさです。

 柔和な美しさではない――
 できれば、傍には近付きたくない、話かけたくもない――
 つまりは「人を寄せつけない美しさ」ですね。

 そういう美しさを、一心不乱に働いている人たちは纏っている――

 銃器愛好者が銃器に感じる美しさというのも――
 たぶん、こうした美しさではないでしょうか。

 内に秘めた機能を最大限に発揮しようとするときに――あるいは、発揮しているときに――
 事物は、最も美しく光り輝くのだと思います。

 もちろん、銃器と人間とを一緒にするのは、かなり乱暴な議論だとは思いますがね。

 でも、忘れてはいけません――
 銃器が人間や動物の命を奪っているときに、それら命を奪っているのは、実は人間であるということを――