時々、
――SFとは何か?
ということについて、考えます。
SFとは「science fiction」の略ですね。
日本語では「科学の虚構」となります。
この「科学の虚構」とは何なのかということについて――
一昔前までは、盛んに議論がされたそうです。
その結果――
万人で共有できる定義は困難であり――また、万人で共有する意味もない――
ということで落ち着いたようです。
それは、その通りでしょうね。
そもそも「科学」の定義がふらついているのです。
「科学の虚構」が一意に決まるわけがありません。
ある人は、科学は知識の体系だといいます。
科学的知見こそが科学の本質だというのです。
これに対し、科学を手法ないし思想とみる人もいます。
実験や観測によって仮説が検証されていく過程こそが、科学の本質だというのです。
僕は、後者をとります。
科学は思考の手段と考えます。
通常は、自然に向かう思考の手段です。
つまり、自然の振る舞いを明らかにしていく営みが科学ということになります。
言い換えれば、自然の振る舞いについての知識体系は、厳密には科学ではない、という立場です。
なぜならば――
そうした体系は、時代とともに目まぐるしく変わります。
例えば、19世紀の科学的知見と21世紀の科学的知見とでは、大きな開きがある――
よって、もし科学を知識体系であるとするならば、19世紀の科学と21世紀の科学とでは、別個の物とみなさざるをえない。
それは、僕には不合理に思えます。
どちらの科学も、手法や思想は同一だからです。
よって、「科学の虚構」とは、「実験や観測に基づく仮説の検証にまつわる虚構」ということになります。
こうした観点に立てば――
例えば、スペース・オペラやファンタシーは立派なSFとなりうるでしょう。
その物語の世界での自然の振る舞いは、僕らの世界と異なっていてもよいのです。
科学の手段や思想が同じであれば――
よって、例えば、当世の科学的知見に縛られすぎたSFは、魅力が半減しています。
真のSFは、当世の科学的知見とは離れたところで成立する物語でしょう。