マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

シャレコウベの視点から

 ――けんかしないでくらそじゃないか。

 室町期の禅僧・一休宗純が残した言葉といわれます
 漢字で書けば、

 ――喧嘩しないで暮らそじゃないか。

 つまり、

 ――とにかく仲良く暮らしましょう。

 といっているのですね。

 一休宗純は「とんち話の一休さん」でおなじみです。
 以前、TVアニメとしても放映されました。
 ただし、あれら「とんち話」のほとんどは後世の創作だそうですが――

 この一休宗純のメッセージは、一見、他愛のない小言にみえますが、実は、続きがあるのです。

 ――けんかしないでくらそじゃないか。末はたがいにこの姿――

 といって、骸骨の絵を示したといいます。
 つまり、「この姿」というのは、シャレコウベのことなのですね。

 以上は、『人生の問題がすっと解決する 名僧の一言』(中野東禅著、三笠書房)の中で紹介されているエピソードです。

 たしかに、その通りですよね。

 今、世の中を動かしている人も世の中に動かされている人も――
 あるいは、世の中を動かしているつもりの人も――
 100年後には皆が「この姿」です。

 遅かれ早かれ、全員が等しく「この姿」になるのです。

 こうした視点で物をみたら――
 例えば、北京オリンピック聖火リレーのことや、その大元にあるチベット自治の問題でさえも、一旦は斜に構えて捉えたほうがよいように感じられます。

 30億年以上もの長い生命史において、ヒトの寿命の長さは、ほんの一瞬です。
 その一瞬の時を大切にするということが、全ての人間に与えられた大問題であるはずです。

 その大問題に挑む過程に、例えば、チベット自治の問題があります。

 チベットの人たちが、自分たちに与えられた一瞬の時を大切にするために、自治の権限を手にしたいと望むのは自然なことです。
 が、そのために、その「一瞬の時」を水泡に帰するのは愚かなことです。

 ダライ・ラマは、中国政府のオリンピック開催を支持されています。
 チベット自治の要求は、あくまでも非暴力の訴えに依るべきだ、とも――

 ダライ・ラマが中国政府の立場に一定の配慮をされていることに、僕らは注意を向けたほうがよいでしょう。

 その願いは、僕らの国の室町期を生きた一休宗純と、寸分も変わらないはずです。