野球でもサッカーでもバレーボールでもゴルフでもいいのですが――
スポーツ観戦を楽しむということは、ひいきチームやひいき選手が敗れたときに、一緒に悔しさを味わうことでもあると思うのです。
勝って喜びを味わうのと同じように――あるいは、それ以上に――
負けて悔しさを味わうことが、意義深いのです。
このことは、単にひいきチームやひいき選手の勝敗だけに一喜一憂することを意味するのではありません。
勝ちの喜びや負けの悔しさを味わおうと思ったら、そのスポーツの実態や現実――ときには選手たちの人間関係さえも――できるだけ詳しくかつ正しく知っておくことが肝要です。
理想は選手と同レベルで知っておくことですね。
もちろん、そんなことは無理に決まっていますけれども――(笑
TVでスポーツ・ニュースなどをみていて、時々、心ないファンの負の言動を目にすることがあります。
ひいきチームの不甲斐ない戦績に苛立ちを隠せず、選手に暴言を吐いたりしている――
そういうシーンをみると、思うのですよね。
(せっかくの良い機会なのに――)
と――
戦績が不甲斐ないときというのは、ファンよりも選手のほうが数倍も悔しかったり苛立ったりしているものです。
その悔しさや苛立ちに寄り添うことで、選手の心情に格段に近付けるはずなのに、その好機を逃しているのですね。
もっとも――
そうやって選手の心情に近付いて、その悔しさや苛立ちにまで寄り添うことは、かなりの精神力を消耗させます。
ひいきチームが勝って、しばらくはルンルン気分で過ごせるかもしれない代わりに――
ひいきチームが負けて、しばらくはドンヨリ気分で過ごさねばならないかもしれないのです。
そんなドンヨリ気分で仕事や勉強に手がつかないなんて、非情にバカげた事態だと理性的にはわかりますから――
ますます気分が重くなってくる――
でも、それに打ち克つ精神力がなかったら――
スポーツ観戦を味わうことはできません。
スポーツ観戦は精神力の消耗に醍醐味があるといっても過言ではありません。