マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋を拒まない

 最近の自分の暮らしを振り返ってみると、
(なんだか遊びがなくなってきているな)
 と思うのですね。

「遊び」というのは、僕の場合、小説を書くこと、あるいは物語を紡ぎ出すことなわけですが――
 こうした事情は、僕に限った話ではないだろうと考えています。

 人間にとって、現実と虚構とは、互いに補い合った世界だと思うのですね。
 現実だけでは暮らせない――虚構だけでは暮らせない――

 現実だけで暮らすことになったり、虚構だけで暮らすことになったら――
 あとが大変です。

 もっとも、「虚構だけで暮らすこと」の心配は、さほど深刻ではありません。
 たいていは「現実だけで暮らすこと」の心配のほうが、ずっと重要です。

「虚構だけで暮らすこと」が、そう簡単には実現しないことは、ちょっと考えれば、すぐにわかります。
 それは、一歩間違えれば犯罪に直結するような異常事態です。

 もちろん、それはそれとして議論をせねばなりませんが――
 とりあえず、ここでは「現実だけで暮らすこと」に絞って話を進めましょう。

 もし「現実だけで暮らすこと」に陥っていたり、あるいは陥りかけていたら――
 どうしたらよいでしょうか。

 もっとも手っ取り早い方法は、

 ――恋を拒まない。

 だと思うのですね。

「恋」は、誰もが経験しうる物語です。正確には「恋に付随する精神面の代償過程」が物語であろうと考えてます。
「物語」というからには虚構ですね。つまり、それは現実とは相反する性質をもっています。

 恋は、おそらくは生物学的機序に基づいた過程です。
 つまり、恋の中核は生物学的現実です。脳を含めた体全域が対象に反応してしまっている状態です。

 一方、そういう状態を適切に処理する過程で、脳は物語を生み出していると、僕は考えています。
 例えば、

 ――僕は、あの人のことが好きだ。

 とか、

 ――あの娘(こ)、僕に気があるのかな?

 とかいったことは、そうした物語の断片とみることが可能です。
 つまり、現実という恋の周辺を、物語という虚構が取り巻いているようなイメージですね。

 この虚構の取り巻きを封殺すると、どうなるか。

 虚構は脳の自然な働きですから、それを押し殺すことは大変にツラい――
 恋を圧迫・抑圧するだけでなく、脳の恋以外の働きをも不当に低下させ、人間らしい生活を送れなくさせる可能性があります。
 
 よって、

 ――恋は拒まずに積極的に!

 となりますが――
 実際には、そうもいきませんね。

 例えば、ひとたび結婚してしまえば、新たな恋を拒まないわけにはいきません。

 配偶者に恋心を抱き続けられれば理想ですが、それは難しいし――(笑
 かといって、配偶者以外との恋に走ったら、それは不倫と呼ばれます(笑
 難しい――(笑

 ――結婚は人生の墓場

 というのは、まさに、このことをいったものでしょう。

「墓場」とは、現実という名の格子に囲われた檻に違いありません。
 あるいは、虚構という名の調度が失われた薄暗い独房です。

 では、どうしたらよいのか。

 お勧めは、虚構の人物に恋をすることです。
 現実の人物に恋をするから、「不倫だ」云々となってしまう――
 例えば、映画やTVドラマのキャラクターに恋をすればいい――
 あるいは、およそお近づきにはなれそうにない人たち――アスリートやアーチストなど――でも構わないでしょう。