二元論の限界については、よく指摘されるところですね。
例えば――
世の中の全ての人々を感性派と論理派とに分けたり、文系と理系とに分けたりする発想のことですね。
たしかに、二元論には危ういところがあります。
というのは、どんなに感性派にみえる人でも何らかの論理派の性質をもっていたり、あるいは、長らく文系の学界や業界を歩んできた人でも幾らかの理系の素養はもっていたりするからです。
感性派か論理派か、あるいは文系か理系か――というふうに、キチっと分けられることなどは、むしろ稀なのですね。
ということは――
そもそも、感性派とか論理派とか、あるいは文系とか理系とか、そういった区分それ自体が本当に正しいものなのか、という疑問が生まれます。
だから、二元論は危うい――
より正確には、二元論的発想は危うい――
という結論を得るのですね。
僕は、必ずしもそうは考えません。
たしかに、現実の事物を二元論でカチっと分類することは不可能に近い――
が――
その分類に必要な2方向の概念――例えば「感性」と「論理」とであったり、あるいは「文」と「理」とであったり――は、議論を活発にします。
思考の手がかりを与えてくれるのですね。
二元論の目的は、事物を2つに分類することではないのです。
2方向の概念ないし価値基準を当てはめ、複合的に評価したり判断したりすることで、その事物の性質に肉迫することです。