マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

男性が許容すべからざる自己像

 ――オヤジになる。

 とか、

 ――オジさんを自認する。

 とかいうことは――
 もう少し具体的にいうと――

 ――女の子への下卑た好奇心を肯定的に受容するようになる。

 ということだろうと思っております。

 例えば――
 少年は、しばしば自分が気になる女の子を苛めて、その子の関心を惹こうとしますが――
 そうした自分の態度を意識していることは稀であり、そうした自分の態度を受容していることは、もっと稀であるのです。

 が――
「オヤジ」や「オジさん」は違う――

 ――きみが、あんまりにも可愛いから、つい苛めちゃうのさ。

 などど臆面もなく、いってのける――(笑
 それが「オヤジ」や「オジさん」の特徴です。

 もちろん、そんな「オヤジ」や「オジさん」が「女の子」に好意を以て迎え入れられることはなく――
 たいていは「オヤジ」や「オジさん」の片思い――かなり歪んだ片思い――で終わるわけですが、

 ――まあ、それでもいいさ。

 と割り切ってしまうのが「オヤジ」や「オジさん」なのです。

 割り切っているから、反省をしない――
 反省をしないから、過ちをくり返す――
 くり返すうちに、過ちがエスカレートする――

 そして――
 いつか一線を越えてしまう――

 まさにネガティブ・スパイラル――(笑

 実に困ったことですね。

 が――
 こうしたスパイラルが、見事なまでにハマってしまうと――
 もはや笑い事では済まされなくなります。

 例えば、世の中年男性の起こす幼い少女への性犯罪は、こうしたスパイラルがハマった結果であると、説明できるでしょう。

 ということは――
 すべての男にとって、「オヤジ」や「オジさん」は許容すべからざる自己像なのかもしれません。