マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

苦しみを有り難みへ

 ――生きていくのは苦しいこと――

 と、宗教家はいいますが――
 そうした苦しみを、どうにかして有り難みに変える術(すべ)は、ないものでしょうか。

 本来ならば――
 ただ生きているというだけで有り難いはずですよね。

 苦しみを感じられることだって、生きていればこそです。
 死んでしまえば、何も感じられなくなる――

 もちろん、本当のところは、死んでみなければ、わからないのでしょうが――
 試しに死んでみるわけにもいきませんから――
 結局は、よくわからないままに、不安を抱えて生きていくより仕方がない――

 僕は、昼間は、病院で診療の仕事をしていることが多いのですが――
 時折、笑顔で、

 ――いつ、お迎えが来ても、大丈夫――

 と語られるお年寄りがいます。
 その同じ笑顔のままで、

 ――歳をとると、体がいうことをきかなくてね。

 などとコボしたりもされるのです。

 そういうお年寄りに触れたりすると――
 生きていくのは苦しい、ということを実感せずにはいられません。

 生きていくのは、やはり苦しいことなのです。

 でも――
 苦しいからこそ楽しめる、といえるような気もするのですよね。

 どうやったら苦しみが和らぐのか、とか――
 どうやったら喜びを見出せるのか、とか――
 そうやって少しでも苦しみを回避するための試行錯誤を、

 ――チャンス

 と考えたらどうでしょうか。
 そういったチャンスを与えられることが、生きることの有り難みではないでしょうか。

 もし、生きることがラクであったなら――
 有り難みなどは、まったく感じられないと思うのですよ。

 ますます生きることの価値が、わからなくなるでしょうね。