マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

中国の人々の「痛恨の極み」は

 中国・清の時代――
 駐在のイギリスの外交官が、清朝の高官の前でテニスをしてみせたときに、

 ――どうです? 面白そうでしょう?

 と清朝の高官をコートに誘ったところ、

 ――たしかに面白そうです。下僕にやらせましょう。

 と応じたのだそうです。
 ある歴史物の随筆で紹介されていたエピソードです。

 昔の中国の教養人というのは、たしかに、そうした物の考え方をしたような節があります。
 球を打って追いかけるというのは、教養人のすべきことではなかったのです。

 数日前から、中国の胡錦濤国家主席が日本にやって来ていますが――
 昨日、早稲田大学で、卓球の福原愛選手らを相手に、

 ――球を打って追いかける。

 ということをしていましたね。
 TVカメラの前で、です。

 もちろん、現代の政治家の外遊にありがちなパフォーマンスの一環とみれば不思議はないのですが――
 その昔、テニスを楽しむイギリスの外交官に向かって、

 ――下僕にやらせましょう。

 といってのけたエピソードを思い返したりすると――
 何ともいえず、隔世の感があります。

 国家主席といえば、皇帝に匹敵する地位です。

 昨日、TVで放映された胡錦濤氏のパフォーマンスは――
 清朝皇帝がラケットを手に庭先を駆け回ったことに匹敵します。

 これを、僕は否定的にみたいのではありません。
 むしろ、肯定的にとらえたい――

 が――
 惜しむらくは、胡錦濤氏が民主主義的な手続きを経て選出された国家主席ではないことでしょう。

 背広姿に眼鏡をかけて微笑む様子は、さながら商社マンの柔和を感じさせますが――
 その「商社マン」が一党独裁政権の首魁であるという現実には、ちょっと戸惑ってしまいます。

 中国の人々は、もちろん、戸惑ったりはしないのでしょう。
 その背景には、

 ――我々に民主主義はなじまない。

 との考え方があるのかもしれません。

 もし、そうならば――
 20世紀の辛亥革命は痛恨の極みでしたね。

 清朝皇帝を排除せず、その下で、今のような独裁政権を樹立する途もあったはずです。
「皇帝」と「国家主席」とでは言葉の壮麗さがゼンゼン違う――(笑

 ――とんでもない! 清朝などは満州族による征服政府なのだ!

 との漢民族の声が多ければ――
 真の「痛恨の極み」は、17世紀の明朝滅亡であったということになります。

 案外、その辺が真実なのかもしれません。

 明朝は、漢民族による最後の帝国政府でした。