マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「子供たち」という言葉

 ――子供たち

 という言葉がありますね。

 僕、この言葉が、すごく嫌いなのですよ。
 子供が、なんだか見下されているような気がするのです。

 自分が子供だったときの記憶を引きずっているのでしょうね。

 当時、僕は、自分のことを「子供たち」と十把一からげに扱われたときに、明らかに引け目のようなものを感じていました。

 皆さんは、いかがでしょうか?
 この日記を御覧の方の多くは、大人だろうと思いますが――

 もちろん――
 見下されても仕方がないようなときには、いいんですよ。

 例えば、親が、幼い子らのヤンチャぶりに困惑しているようなときに、

 ――子供たちがいうことをきかない。

 というのは構わない――

 でも――
 例えば、ちょっと堅めのバラエティ番組とかで、進行役のタレントなどが、

 ――ここからは子供たちにも参加してもらいましょう。

 などといったりするのは、ガマンできません。

 その進行役が子供タレントとかだったりすると、本当に気の毒です。

(誰じゃい、そんな台本かいたのは!)
 と、心底、腹が立ちます。
 その子供タレントが、そんな言葉を、自分から進んで使うわけないでしょうから――

 子供はいつまでも子供ではありません。

 今10代の人たちは、あと10年もすれば立派な大人です。
 今10歳未満の人たちも、あと20年で同様です。

 たかだか20年遅く生まれてきたというだけで、子供を見下していいものでしょうか。

 人類の歴史の長さは何千年のオーダーです。
 そうしたスパンでみたときに、20年の差というのは、誤差の範囲といえましょう。

 この世で顔を合わせられる程度にしか歳が離れていないのであれば――
 たとえ相手がどんなに自分より若くあったとしても――
 同世代のような感覚をもつのが自然なことのように感じられます。

 そうした感性を重視するならば、たかだか20年遅く生まれてきただけなのに、

 ――子供たち

 とレッテルを貼るのは滑稽とさえいえます。
 少なくとも、

 ――同時代人としての配慮が足らない。

 くらいは、いってもいい気がするのです。

 ……

 ……

 え?

 なんですって?

「子供たち」というのは――
 別にレッテルではないだろうって?

 ……

 ……

 それは、どうでしょう。

 立場を入れ替えてみればわかりますよ。

 例えば、子供に、

 ――大人たち

 と、ひと括りにされたら、どう感じます?

 なんとなくイヤな感じを受けませんか?(笑