マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

誤解に誤解を重ねながら

 人間関係の構築や維持が苦手な人というのは、決して少なくないですよね。

 そういう人の言動をみていて、気づくことがあります。
 意思表示の仕方が不器用だということです。

 意思表示というのは――
 例えば、自分の意見を述べるとか、相手の意見を聞き出すとか――
 あるいは、もっと複雑なレベルでは――
 例えば、断られるのを見越して敢えて親切を申し出てみせるとか、親切な申し出に感謝はしつつも明確に断ってみせるとか――
 そういったことの連なりです。

 こういうことを書くと、

 ――じゃあ、お前はどうなんだ!

 とお叱りの言葉を受けるかもしれませんが――(笑
 そうですね。

 僕だって、決して得意なほうではありません。

 相手の気持ちに配慮をしすぎて過度に遠慮されてしまったり――
 逆に、配慮しているつもりが全くの迷惑をかけてしまったり――
 時々、スゴく痛い目にあっていますよ。

 ある程度の行き違いは、仕方ありませんね。
 だって、他人の心をよむことはできないのですから――

 意思表示の仕方が不器用な人というのは、まず意思表示がもつ原理的な困難に無頓着であるようです。

 正確な意思表示は困難です。
 意思表示は、少なくとも具体的には、言葉によってなされますが、言葉は万能ではありません。
 表情や口調や仕草などで、ときに致命的な修飾を受けます。

 そうした不完全な意思表示を正確に受容することは、さらに困難です。
 人なら誰しもがもつ様々な種類の固定観念や思い込み、偏見などが、しばしば決定的な干渉を及ぼします。

 もしかすると、

 ――意思表示の成功は奇跡だ。

 くらいに思っているほうが賢いかもしれません。

 ――正しい意思表示なんて、できっこないから!

 とか、

 ――意思表示を正しく受け止めるなんて、ムリ!

 とか――

 人というものは、おそらくは――
 誤解に誤解を重ね合いつつ、それでも何とか一緒に暮らしているのが現状に違いないのです。