人付き合いのうちには、顔を合わせて雑談をするだけの時間というのが、とても重要だと考えています。
もしかしたら、ただ顔を合わせるだけで、十分かもしれません。
とくに、これといった雑談をしなくても、決まった頻度で会っていけば――
遅かれ早かれ、お互いに何となく気心が知れてくるものです。
気心が知れるとは、例えば――
深刻な状況に陥ったときに真剣な相談ができる人か――
困っていそうな時に寄り添ってあげたほうがよい人か――
長話が好きな人か――嫌いな人か――
自分の話をしたがる人か――他者の話に興味をもつ人か――
そういったことがわかってくる、ということです。
ただし――
いったん、気心が知れたら――
必要以上に顔を合わせるのは、よくないでしょう。
場合にもよりますが――
どんなに緊密な間柄であっても、せいぜい1週間に1度の頻度で会っていくのが、上限ではないでしょうか。
1ヶ月に1度でも十分かもしれません。
近世以前は、
――互いに大して用もないのに話をするべきではない。
と考える人が多かったようです。
たしかに、気心が知れてきたら、その通りですね。
無理に雑談の機会を持つことは、かえって煩わしい顛末になりかねません――お互いに相手の時間を浪費させてしまったり――
でも――
まったく顔を合わせないのも危険ですよ。
人は、常に変わっていくからです。
いったん気心が知れても、半年ほども会わなければ、もう別人と思っておいたほうがよいでしょう。
せっかく知れた「気心」も、たぶん雲散霧消しています。