人生は、ちょっとしたことで大きく変わります。
例えば、
――大学の頃は公務員になることしか考えていなかったのに、今、老舗のラーメン屋で修行中――
とか、
――役者を目指して高校を中退したのに、今、大学院の社会人コースで福祉を学んでいる。
とかいうように――
いずれも、ちょっとした日常の変化が人生の転機に繋がっていく可能生を極論したものです。
「日常の変化」というのは、本人の気まぐれであったり、何ということはない人との出会いであったり――
そうした些細な事件が、その後の暮らしを激的に変えうることは、人生の面白みや不思議さを強烈に印象付けていると思いますが――
そうした激変が本当に実際に起こっているかどうかは、いま一つ、実感を持てずにいました。
(本当は、そういうことは滅多に起きなくて、ほとんど都市伝説みたいなものじゃないか)
と思っていたのです。
が、そうではないのですね。
*
この前の日曜日に、秋葉原で無差別殺人事件が起こり――
7人もの方々が亡くなりました。
凄惨な現場の様子は、各種報道機関が伝えるところです。
あの日、その場には大勢の人々が居合わせました。
生死を分けたのは些細な事件であったかもしれません。
気まぐれを起こし、ほんの5秒ほどでも立ち止まっていたら、殺されていたかもしれないとか――
何ということはない人と出会い、それが縁で秋葉原に行く予定をキャンセルしたから、殺されずにすんだかもしれない、とか――
些細な事件が、その後の暮らしを激的に変えうるというのは――
あの日、秋葉原の路上で起こったことに思いを馳せれば、ごく当たり前のこととして受け入れられます。
僕たちは、とにもかくにも、そのような世界に生きている――
それは、拒みえぬ事実です。