マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

不安が芸への執念になる

 人の芸への執念は、その人の心の不安に由来しているのだと感じます。

 心が不安で満ちているから、芸にのめり込めるのだと、と――

 逆に――
 日々の生活に満足をし、日頃から不安と無縁の生活を送っている人に、人の心を動かす芸は難しいでしょう。

 芸の肥となる不安の中身というのは、たぶん芸を行う人それぞれによって違っていることでしょうが――
 最終的には、生や死への不安に行きつくものと、僕は思います。

 ――なんで生きているんだろう?

 ――どうして死なずにいられるんだろう?

 ――生まれる前は、どうだったんだろう?

 ――死んだら、どうなるんだろう?

 そういった不安が、芸への執念となって、表に現れるのです。

 芸には傷が付き物です。
 欠陥のない作品やミスのない演舞はありえません。

 たしかに、芸が絶賛されることは珍しくありませんが――
 それは、芸が完全だったからではなく――
 長所が短所を大きく上回ったからです。
 絶賛された芸に、短所がなかったわけではない――

 心に不安がない人は――
 あるいは、心の不安を理解できない人は――
 概して、芸の不完全さを厳しく追求する傾向にあるといってよいでしょう。

 ――多くの人が褒めてるようだが、あんなのはダメだ! 欠陥がありすぎる!

 というように――

 すぐれた芸は、日頃から不安に苛まれている人が、ギリギリの葛藤を経て、辛うじて生み出してくるものです。
 本来、不完全なものです。

 不完全でなければウソだ、といってもいいかもしれない――

 その長所をみずに、短所ばかりをあげつらうのは、芸の内奥を見抜けず、芸の表層ばかりを傷付けているに等しいでしょう。