一般に、作家にとって、どこまでを書き、どこからを書かないかは、大きな問題だといわれます。
問題の本質は散文の難しさです。
これが韻文であれば、さほど判断には困りません。
例えば、五、七、五の俳句であれば、
――できる限り書かない。
のが良しとされるでしょう。
が、散文では、そうはいかない――
俳句では、使える音の数が決まっているので、「できる限り書かない」に大義名分を求められますが――
小説では、いくらでも文字を費やせるので、むしろ「できる限り書く」に大義名分を求められてしまうくらいです。
実際に散文で、そうはならないのは――
「書きすぎることで、興がさめる」という危険性があるからです。
とくに作家は、そのことを、ときに過剰なまでに意識します。
日頃から書く立場に慣れているために、読む立場に回ったときに、一を聞いて十を知るようなところがあるからでしょう。
――そこまで書かんでもわかるわい!
となってしまう――
が、書く立場に慣れていない読者にとっては、逆に「書きすぎるくらいが、ちょうどよい」となるわけで――
この問題に答えはないですね。
結局は、書き手と読み手との付き合い方の問題だからです。
人付き合いの有り様に正解がないように――
「どこまで書くか」の問題にも正解はないのです。