ある70代の野球解説者が――
昨年、アメリカで講演を行ったそうです。
そこで、戦中に神風特攻隊で出撃した野球選手のエピソードを紹介しました。
その選手は、出撃の直前に、
――キャッチボールがしたい。
といったそうです。
――ストライクを10球入れたら、何も思い残すことなく死んでいける。
と――
その野球選手はピッチャーでした。
そして、実際にキャッチボールをし、出撃していった――
その相手をしたのは、かつてのチームメイトであったそうです。
このエピソードを、70代の日本人は泣きながらきくそうです。
が、アメリカ人の聴衆は、泣きもしなければ感動もしなかった――
――その様子に腹が立った。
と、その野球解説者は述懐しています。
皆さんは、いかがお考えでしょうか?
この野球解説者の腹立ちは、もっともだと思われるでしょうか?
30代の日本人である僕にいわせてもらえば――
この話でアメリカ人に涙を流せというのは、ちょっと無茶な話だと感じます。
そもそも、神風特攻隊の体当たりの標的はアメリカ軍の艦船でした。
よって、この「最後のキャッチボールの野球選手」は、アメリカ人にしてみれば、かつての戦友たちの仇か、祖父や父親たちの仇であるわけです。
その辺の事情に配慮した上で話をしないと、アメリカ人の心を動かすことはムリでしょう。
いや――かりに完璧に配慮できたとしても、アメリカ人が思わず泣いてしまうくらいに感動することは、まず、ありそうにない――
戦争がもたらす憎しみの記憶は、かつての敵対国の人々との心の交流を、いとも簡単に断ち切ります。
それが戦争の悪しき副産物です。
おそらく――
この野球解説者が腹を立てたように、アメリカ人の聴衆の多くも腹を立てていたことでしょう。
少なくとも僕は、アメリカ人に目の前で広島や長崎の原爆の話をされたら、腹を立てると思います。
かりに、向こうに一切の悪気がなかったとしても――
目の前のアメリカ人の聴衆の腹立ちに気づかなかったのは、この野球解説者が戦争の当事者であったからではないでしょうか。
幼少期であったとはいえ、あの戦争の空気を直に吸って生きた世代です。
かつての敵対国の人々の立場から物事を感じとることは、どうしても難しいのだと思います。
これも戦争の爪跡の一つといってよいでしょう。