マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

集団への順応をオフにする

 人は――
 何日も部屋にこもって、あらゆる外界との接触を経ってみると――
 色々と面白いことを考えるようになるのですね。

「外界」というのは、主には他人です。

 あるいは、「集団」といったほうがよいのかもしれません。
 ここでは、単に他人が集まった状況を指します。

 人というのは、おかしなもので――
 集団の中にいると、その集団に無意識に順応してしまうものなのです。

 集団の雰囲気に合わせて、集団から弾かれないように、ひたすら無難に物を考え、言葉を発し、行動に移す――
 とにかく集団の枠に収まろうとします。

 ところが、何日も部屋に閉じこもっていると――
 そうした集団への順応の意欲が失われます。

 そうすると、人は自然にユニークな発想を紡ぎ出してくるものなのです。

 先ほど「面白い」といったのは、この「ユニーク」のことです。
「集団から逸脱している」くらいの意味です。

 逆に、集団に順応しているときには――あるいは、無意識に順応しようとしているときには――は、そのようなユニークな発想は封殺されます。
「封殺される」というよりは、そもそも生じてこない――「枯渇する」というほうが正しいのかもしれません。
 それが「順応」です。

 つまり――
 集団の中にあって、常に最大公約数的な発想に終始する――
 それが、集団への順応です。

 大人になったら――
 年に1回くらいは、そういう集団への順応をオフにしたいものです。

 なぜなら――
 集団というのは、往々にして判断を誤りますから――

 小さな誤りなら笑って済ませられますが――
 大きな誤りなら、そうもいきません。

 国という大きな集団が、戦争という大きな誤りを犯した結果、何が起こったか――
 昭和初期の歴史が語りかけています。

 集団が誤りかけているときには――
 そのときに、たまたま集団への順応をオフにした人たちが、その誤りに気づけばよいのです。

 そうしたら――
 取り返しのつかない事態は、さけられるかもしれません。