人は――
何日も部屋にこもって、あらゆる外界との接触を経ってみると――
色々と面白いことを考えるようになるのですね。
「外界」というのは、主には他人です。
あるいは、「集団」といったほうがよいのかもしれません。
ここでは、単に他人が集まった状況を指します。
人というのは、おかしなもので――
集団の中にいると、その集団に無意識に順応してしまうものなのです。
集団の雰囲気に合わせて、集団から弾かれないように、ひたすら無難に物を考え、言葉を発し、行動に移す――
とにかく集団の枠に収まろうとします。
ところが、何日も部屋に閉じこもっていると――
そうした集団への順応の意欲が失われます。
そうすると、人は自然にユニークな発想を紡ぎ出してくるものなのです。
先ほど「面白い」といったのは、この「ユニーク」のことです。
「集団から逸脱している」くらいの意味です。
逆に、集団に順応しているときには――あるいは、無意識に順応しようとしているときには――は、そのようなユニークな発想は封殺されます。
「封殺される」というよりは、そもそも生じてこない――「枯渇する」というほうが正しいのかもしれません。
それが「順応」です。
つまり――
集団の中にあって、常に最大公約数的な発想に終始する――
それが、集団への順応です。
大人になったら――
年に1回くらいは、そういう集団への順応をオフにしたいものです。
なぜなら――
集団というのは、往々にして判断を誤りますから――
小さな誤りなら笑って済ませられますが――
大きな誤りなら、そうもいきません。
国という大きな集団が、戦争という大きな誤りを犯した結果、何が起こったか――
昭和初期の歴史が語りかけています。
集団が誤りかけているときには――
そのときに、たまたま集団への順応をオフにした人たちが、その誤りに気づけばよいのです。
そうしたら――
取り返しのつかない事態は、さけられるかもしれません。