TVで北斎や広重の浮世絵をみていたら、
――江戸を明治に繋(つな)ぐものは何か。
と――
ふと、そのようなことを考えました。
司馬遼太郎さんなら、
――支配者層の開明性や合理性
とお答えになったかもしれません。
明治の為政者には、それまでは当たり前だった高貴な義務の遂行者として矜持が残っていた、と――
そうした開明性や合理性が、昭和の為政者にまで受け継がれることはなかったというのが、いわゆる司馬史観の通説でしょう。
実際の司馬さんが、そのように単純にお考えであったとは思えませんが――
とはいえ――
僕は、ずっとそのように考えていました。
すなわち、「支配者層の開明性や合理性」は明治の為政者にも残されていた、と――
でもね。
どうも違う気がしているのですよ。
江戸期までの為政者と明治期以降の為政者とでは、覆うべくもない断絶があるような気がして、仕方がないのです。
というよりも――
江戸期と明治期とでは、この国は、根本的に違う国になったのだ、と――
そう思うのです。
つまり、
――江戸を明治に繋ぐものは何もない。
ということですね。
いや――
実際には何もないわけはないのですが――
では、「何が繋ぐものなのかを指摘せよ」といわれれば、ハタと困ってしまう――
それが、最も妥当な反応なのではないか、と――
ときどき、昭和の敗戦が、この国にとって深刻な断絶であったと主張する人がいますが――
昭和の敗戦は、断絶の度合いとしては、大したことはなかったように思います。
江戸と明治との断絶が半世紀遅れで顕然化しただけのように思うのです。