マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

直観

 人間の心の営みには、自分で意識できる部分と意識できない部分とがあって――
 その意識できない部分を、かのフロイトは「無意識」と名付けたわけですが――
 その無意識の部分での判断が、いわゆる直観というものでしょう。

 最近、この直観が、なかなかバカにならないものだということを、痛切に感じるようになってきました。

 人は、若い時分には、直観の威力を軽視しがちですが――
 それは、若い時分には、しばしば直観が外れるからに他なりません。

 直観というのは、無意識の部分がなせるワザなのですが――
 その無意識の部分というのは、歳をとるごとに、柔らかさや豊かさを増していくのです。

 もしかしたら、広さや奥深さも増していくのかもしれません。
 少なくとも、意識の部分よりは、はるかに広くて奥深そうではあります。

 人として歳をとることによって、より柔らかで豊かになった無意識は、その分だけ、より確かで強(したた)かな直観を導き出すのでしょう。

 ただ、直観は使いっぱなしではいけません。

 ――オレの直観が、そう叫んでいる!

 で終わらせてしまっては、若い人はついてこなくなる――
 若い人は、聡明な人ほど、直観というものを疑っていますから――
 そういう人が納得できるような説明を提示する努力は必要です。

 そのような説明は、無意識が弾き出した答えを、意識が後追いで精査し直すことで得られます。
 それを怠れば、優れた直観も老人の妄言で片付けられてしまう可能性があります。