マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

頑張りを隠す

 どうして人は――
 毎日、笑って暮らすことができないのでしょうか。

 つい、眉間にシワを寄せたり、肩を無用にいからせてみたり――

 もちろん――
 日々、頑張って生きているからなのですが――
 本当は、頑張って生きるより笑って暮らすほうが、より強かな意志と細やかな配慮とを必要とするのですよね。

 笑って暮らすということは――
 頑張って生きるその「頑張り」をひた隠しにするということでもあります。

 頑張るだけでも大変なのに――
 さらに、それをひた隠しにするのですから――
 当然、より強かな意志と細やかな配慮とが必要になりますよね。

 シンクロナイズド・スイミングの喩えをひくのは、ちょっと陳腐にすぎますが――
 でも――
 まあ、そういうことですよ。

 水面下で一生懸命に手足を動かして――
 でも、水面上では可憐に華麗に――

 もちろん、同じシンクロナイズド・スイミングでも、この喩えの場合には、ソロの演技を念頭におくべきとは思いますが――

 ところで――
 頑張って生きるその「頑張り」を、人は、いったい誰から隠しているのでしょうか。

 それは、家族です。
 同居人です。

 つまり――
 家族とはシンクロナイズド・スイミングの観客であり――
 一人暮しは、観客のいないシンクロナイズド・スイミングである――
 というわけです。

 観客のいないシンクロナイズド・スイミングというのは――
 たぶん、ちょっとくらい手抜きをしても、ぜんぜん構いませんよね(笑

 本当の意味でのツラさは――
 たぶん、そこにはありませんよね。