マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

病気の半分以上は

 ――病気の半分以上は不安でできている。

 といってよいと思っています。
「不安でできている」というのは、

 ――病気で困っていることの半分以上が不安な気持ちと密接に絡んでいる。

 ということです。

「不安」とは、まだ見えぬ将来への恐怖です。

 そもそも不安とは、

 ――対象の見えぬ恐怖

 だといわれています。

 病気の場合、「まだ見えぬ将来」が恐怖の対象となるのですね。

 対象が「まだ見えぬ」ですから――
「恐怖」ではなく「不安」なのです。

 病気というものは、常に変化していくものです。

 例えば――
 どんどん良くなっていったり――
 どんどん悪くなっていったり――

 あるいは――
 良くなったり悪くなったりを繰り返したり――

 千差万別です。

 だから、病気では「将来」が「まだ見えぬ」となります。

 もし、病気というものが、常に決まったパターンで推移するのなら――
「病気の半分以上は不安でできている」とはならないでしょう。

 それだけ将来を確かに見通せるはずですから――
 少なくとも「不安」ではない――

 が――
 もし、病気というものが、常に決まって「どんどん悪くなる」のパターンをとるならば――
 今度は、「将来」以外の物が「まだ見えぬ」の対象となりうるでしょう。

 例えば、

 ――死

 とか――

「どんどん悪くなる」の病気の先にあるものは――
 どう考えても、やはり「死」に違いありません。

 ところが――
「死」も「まだ見えぬ」であることに変わりはありませんよね。
 だって、死んだことのある人なんて、この世にはいないのですから――

 つまり、「死」は不安を招くのです。

 結局は――
 不安が問題なのですよね。

「対象の見えぬ恐怖」です。

 そこを癒すことこそが、医療の最大の役割かもしれません。

 とにかく大変です。

 何しろ、対象が見えないのですから――
 原理的には対策の立てようがない――