マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

なぜ女の体は美しいのか

 昨日は、JR仙台駅近くの喫茶店で、友人のMr.アニリンくんと話をしていて――
 ふと、

 ――男も女も、なぜ女の体を美しいと思うのか。

 という話題になりました。
 男が、女の体を美しいと思うのは、

 ――きっと、そこに男の性的欲求が関わっているから――

 という説明で、だいたいは納得できると思うのですね。

 では、なぜ女も、女の体を美しいと思うのか――

 これは結構な大問題です。
 少なくとも「性的欲求」は鍵になりえない――

 僕が思うに――
 この問題については、「なぜ女の体は美しいのか」で考えるよりは、「なぜ男の体は美しくないのか」で考えるほうが、わかりやすいでしょう。

 男の体というのは、基本的には、

 ――使うもの

 だと思うのですよ。

 骨格が丈夫で、筋肉が発達しており、器械的に動かすには、まことに使い甲斐があって――
 その機能を味わうには、実に申し分のないアイテムだろうと思うのです。

 ですから――
 女の人で、男の体の機能に憧れをもつことは、まったく不自然ではありません。

 少女が、

 ――私も男であったら良かったのに!

 などとコボすのは、男の体の機能への憧れに違いありませんし――
 ファリック・マザー(男根具有の母親)への幻想なども、おそらくは同系でしょう。

 が――
 男の体について、その形態が憧れの対象になるということは――
 ちょっと考えにくいように思います。

 形態が憧れの対象になるのは、やはり女の体です。
 女の体は、男の体とは違って、使うものではなく、観るものです。

 もちろん、男が女の体に憧れることは十分にありえますが――
 それは、あくまで観る対象として、です。

 少年が、

 ――僕も女であったら良かったのに!

 などとコボすことはなく――
「女陰具有の父親」などという幻想も、きいたことがありません。

 というわけで――
 男も女も、女の体を美しいと思うのは――
 実は、女の体の側には大きな理由がなく、男の体の側に決定的な素因があるのでしょう。

 それは――
 男の体は、使い甲斐があるかどうかの尺度で計られるべきものであって――
 美しいものかどうかの尺度で計られるべきものではない――
 ということです。