毎年、この時期になると、受験生を気遣う言葉が、ぽつりぽつりと聞かれます。
主に大人たちから子供たちに向けて発せられています。
例えば、
――睡眠時間を削って勉強するのは大変だよね。
とか、
――TVをみるのも我慢しなきゃいけないのは苦しいね。
とかいった類いです。
日常会話の中でというよりは、TVやラジオなどのメディアの中で発せられることが多いようです。
が――
こうした言葉は、ちょっとピントがズレているように思うのです。
大人たちが気にかける受験のほとんどは、高校や大学へ進学するための受験です。
ところが――
実際には、高校や大学へ進学したあとも、睡眠時間を削って勉強しなければならなかったりTVをみるのを我慢しなければならなかったりする現実があります。
たいていは、進学したあとのほうが勉強の負担は大きくなります。
つまり――
いわゆる受験生の苦労というのは、勉強の負担ではないのです。
――先がみえない。
という苦労です。
来年度の自分は、どの高校に通っているのか、あるいは、ちゃんと大学生になれているのか――
そういう不安が、受験生を一番に苦しめています。
喩えていうならば――
経営の危うい会社で働く従業員の苦しみです。
あるいは――
夫の不倫に気付いてしまった主婦の苦しみです。
いや、そんなことはない――
という向きもあるでしょう。
なぜならば、一介の従業員に経営の立て直しは着手しようがないし、その気になった夫の不義理は妻には防ぎようがないけれども――
受験の合否ならば、勉強の努力次第で、何とでもなるではないか、と――
が――
受験にだって、努力ではどうにもならない要素があります。
模試の成績で合格率80%の人が不合格になることがあれば、合格率40%の人が不思議と合格することもあります。
受験も勝負事です。
最後は天佑が左右します。
たまたま試験の最初のほうで自分の苦手な分野ばかりが出題されたとか、たまたま直前に勉強した分野ばかりが出題された、などです。
もちろん、会社の経営や夫婦の機微よりは受験の合否のほうが少しは先がみえるでしょう――
少なくとも自分の学力なら、適切に勉強をすることで、かなりの部分、コントロールできますから――
が――
そこは程度の差です。
先がみえないという点では、受験の合否も会社の経営や夫婦の機微と同列に扱うのがよいでしょう。
それがイヤならば――
受験を気遣う言葉などは、うかつには口にしないことです。
お決まりの無意味な気休めにしか聞こえません。
それならば、正直に、
――受験の不安なんて、会社や夫婦の不安に比べれば、たかが知れている。
と吐露するほうがマシでしょう。