古代中国の兵法書『孫子』には、
――彼を知り己を知らば、百戦して危うからず。
との一節があるそうです。
有名な一節ですね。
この「危うからず」を、
――負けることはない。
と解釈する人が少なくないようですが――
僕は、そうは解釈しないほうがよいと考えています。
この「危うからず」は、
――仮に負けたとしても、ひどい痛手を被ることはない。
と捉えるのがよいと思うのです。
まあ――
何をもって「負け」とするかは大問題なのですが――(苦笑
例えば――
時節がら、受験を例にとりますと――
この場合の「負け」は、たぶん試験の不合格ですよね。
つまり、「彼を知り己を知らば、百戦して危うからず」というのは、
――試験のことを熟知し、自分の学力や性格を熟知すれば、いくら受験を繰り返しても、ひどい痛手を被ることはない。
ということです。
あくまで「ひどい痛手を被ることはない」であって――
決して「不合格になることはない」ではありません。
いくら試験のことを熟知していても、また、いくら自分の学力や性格を熟知していても――
合格の見込みが乏しい試験に挑んでしまえば、不合格は避けられないでしょう。
が――
本当に試験のことを熟知しており、また、本当に自分の学力や性格を熟知していれば――
合格の見込みが乏しい試験に挑んでいるときには、その見込みの乏しさを冷静に理解し、受容しているはずなので――
受験の後、見込み通りに不合格になったとしても、さしたる痛手とはなりえません。
次の試験を見据えて、前向きに再準備することができるに違いないのです。
「彼を知り己を知らば、百戦して危うからず」の真意は、そのように理解するのが現実的でしょう。