マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

教育の動機の源泉

 何事もそうだろうと思いますが――

 ――本当にわかった!

 と実感できるときというのは――
 自分が理解したことを人に教えたくなるほど深く理解し始めたときです。

 つまり、教えたくなるということは――
 十分に深く理解している、ということです。

 このことを逆手にとって――
 何かを十分に深く理解するためには、そのことを人に教えようとすればいい、と――
 考える人がいます。

 事実――
 ある大学の教授は、自分の教室に所属する若手の学者に、

 ――この辺のことを、あいつにも勉強させたい。

 という理由で、学生の講義を部分的に受け持たせることがある、と――
 語ってさえいました。

 が――
 それでは、ちょっと話が逆でしょう。

「勉強させたい」のであれば、「勉強させる」が一番です。
 本人が勉強したくなるように仕向ける、ということですね。

 そうやって一生懸命に勉強をし、十分に深く理解できたことが増えることで初めて、

 ――これは、誰かに教えたい!

 と感じるようになるのであって――
 決して「教えたい」という気持ちから始まるものではありません。

 ところが――
 勉強したくなるように仕向けるというのは、並のことではありませんよね。

 といいますのは――
 勉強したくなる理由は、人それぞれだからです。

 もちろん――
 なかには、人に教えることで、勉強したくなる人もいるでしょう。

 が――
 全ての人が、そうというわけではありません。

 人の教わることで、勉強したくなる人もいるでしょうし――
 とくにキッカケがなくても、勉強したくなる人はいるでしょう。

 教育の動機の源泉は――
 物事を広く理解する才覚と、その理解を最大限に深めていきたいと願う欲求や感覚です。