マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

教師の本分を果たすには

 解決策のわからない問題について、その解決策を考えているときには――
 その問題は、とてつもなく大きくて複雑で、ひどく厄介な問題のように感じられるのですが――
 いったん解決策の目処がついてしまうと――
 その問題は、呆れるほど小さくて単純で、他愛のない問題のように感じられます。

 解けるとわかっている問題は、矮小化されてみえるのですね。
 逆に、解けるかどうかわからない問題は、誇大化されてみえるのですね。

 ですから――
 何か1つの問題について、その解決策を皆で話し合っているときに――
 その問題が、すでに頭の中では解けている人と、まだ解けていない人との間では、深刻な軋轢が生じます。

 当然ですね。
 片や「大きくて複雑な問題」であり、片や「小さくて単純な問題」であるのですから――

 あるいは――
 片や「ひどく厄介な問題」であり、片や「他愛のない問題」であるのですから――

 こうしたギャップを埋める職業が、いわゆる、

 ――教師

 なのですが――
 これを巧みに埋める教師は、案外、希であるように思います。

 たいていは、どちらかに偏るのですよね。
「大きくて複雑な問題」や「ひどく厄介な問題」に振り回されてばかりか――
「小さくて単純な問題」や「他愛のない問題」に左うちわで対処するばかりか――

 一般に、前者が無能な教師であり、後者が有能な教師であるとみなされやすいのですが――
 実際の教育の現場にあっては、おそらく、どちらも優れた教師とはいえません。

 同じ問題について、あるときは振り回されてみせ、あるときは左うちわで対処してみせる――
 それら双方の態度や姿勢を自在に使い分けてみせるのが教師の本分であり――
 それを十分に果たしている教師が、真に優れた教師だろうと思います。

「ひどく厄介な問題」に、しょっちゅう振り回されてみせることで、人々からの共感や親近感を得ている教師も――
「他愛のない問題」に、いつも左うちわで対処してみせることで、教わる人々から畏敬の念を抱かれている教師も――
 どちらも、所与の本分を十分に果たしているとは、いえないでしょう。