物理学などでは自然界の諸現象を説明するのに、しばしば数式が用いられます。
自然が数式で表されるのです。
例えば、特殊相対性理論の
E = mc2
は有名です。
この数式の意味するところは、
――物質の質量に光速を2回乗じたものが物質のエネルギーである。
というものです。
この数式の形があまりにも単純なので、このことは自然の神秘を示唆しているような印象を与えます。
が――
実際にはそうではないと、僕は思うのです。
「自然の神秘」ではなく「数式の神秘」ではないか、と――
自然界の諸現象をヒトの脳が理解してしまう――
さらに、その理解した内容を、数式という非常に単純な記号の羅列だけで表現してしまう――
それが、数式の神秘です。
単純化や記号化といった知的営みの実態は、最終的には、おそらくヒトの脳の働きに還元されるでしょう。
よって、数式の神秘はヒトの脳の神秘でもあります。
が――
少し醒めた見方をするならば――
人は、ヒトの脳の働きで理解できることしか理解していない可能性があります。
つまり、自然界の諸現象のうち、ヒトの脳の働きで理解できないことは、これまでに理解されてきていないし、これからも理解されえないに違いない、ということです。
こうした見方に立てば――
自然界の諸現象を数式で表現するヒトの脳の神秘は、実は神秘でもなんでもなく――
いわば平面上の三角形を3本の線分で表現するようなものです。
3本の線分で三角形を描くことは、三角形の定義を知った者ならば、誰にでも可能でしょう。
当たり前のことです。
数式の神秘とはいってみたものの――
所詮は、その程度ことなのかもしれないのです。