マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

時間制限付きの問題を

 時間制限付きの問題を解くということを、以前は、ずいぶんとバカにしていたのですよね。
「バカにしていた」が過激すぎるなら、「甘くみていた」に訂正しておきますが――

 時間制限付きの問題を解くことの典型が受験です。
 例えば、大学入試では、かならず解答時間に制限が課せられています。
 たいていは十分な長さの時間を与えられません。

 そういう問題を解くことばかり求められ、すっかり疲弊してしまっている受験生を気の毒に思い――
 それで、

 ――時間制限付きの問題を解くことなどに意味はない。時間制限内に6割解ける人よりも時間無制限で9割解ける人のほうが偉い。

 という文脈に依って、時間制限付きの問題を解くことに重きを置かない発言を繰り返していたのですが――

 たしかに――
 学問の世界では、それでいいのですよね。

 学問の世界では、基本的には、時間無制限です。
 ある学説が正しいか正しくないかの判断には、それこそ一生を費やすことが許されます。

 が、それ以外の世界では――
 例えば、政治、経営、司法、医療、スポーツ――
 いずれも時間制限付きの問題を解くことが非常に重要になってきます。

 当然、不正解に辿り着く可能性も高くなってきます。

 そういう課題にどう向き合っていくか――
 実社会では切実な問題であるわけです。

 さらにいえば――
 不正解に辿り着いた後、そこからどうやって立て直していくか――
 もっと切実な問題が、実社会にはあふれています。