たいていの評論文では――
骨子となる主張があって、その主張をわかりやすく説明するために様々な具体例が添えられます。
主役は、あくまでも骨子となる主張のほうであって――
添え物の具体例は脇役なのですが――
まれに――
具体例が主役になって――
主張が脇役になることがあります。
よく、
――神は細部に宿る。
などといいますが――
それを地でいくような状態ですね。
ですから――
評論文を書くときには、骨子の構築には凝りすぎないほうがいいのかもしれません。
むしろ――
添え物の形状や色彩や、それらの配置にこそ、気を使ったほうがいいのかもしれない――
書く者は、どうしても骨子の構築に精力を注ぎたくなるのですが――
それではいけないだろう、と――
面白い形状をとどめている添え物や鮮やかな色彩を放っている添え物を探し出し、それらを上手に配置していけば――
骨子は自然と構築されるに違いない――
そういう心境に達するには――
骨子の構築に何度も挑戦し、何度も失敗するという経験が必要なのかもしれません。
骨子というものは、それを懸命に構築しようと思うと、どうしてもウソっぽくなってしまうのですね。
以上のことを家の設計に喩えてみると――
どんな構造の家に住みたいかを考えてばかりだと、大きな失敗になりかねないが――
どんな部屋のある家に住みたいかを考えて設計すれば、そんなに大きな失敗はないだろう、と――
そういうことになるでしょう。