マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

300年後には

 ふだん僕らは、自然科学の知識体系が目まぐるしく変化しているということを、意識することが、ほとんどありません。

 例えば、燃焼という現象は、ほんの300年前には、今とは全く違った風に理解されていました。
 燃焼とは、燃焼している物体の中に含まれていた「燃素」という物質が空気中に放出される現象であると、理解されていました。
 今日では、物体に含まれている様々な物質が空気中の酸素と結びついてエネルギーが放出される現象であると、理解されています。

 今日における燃焼の理解が、300年後も同じままである保証は、どこにもありません。
 今後、まったく未知の現象が発見され、その現象の理解が進むとともに、燃焼という現象の理解が別の展開をみせる可能性は十分にあるでしょう。

 自然科学の知識体系とは、そういった、

 ――遠い将来は、どうなっているかは全くわからない。

 という不安を抱えたまま、地道に学びとらねばならないものです。
 300年後には荒唐無稽になっているかもしれない理解を、今日の僕らは受け入れるしかないのです。

 自然科学を学んでいると、いくらでも長生きをしてみたいと感じざるをえません。
 300年後に今日の自然科学の知識体系がどうなっているのかを、ぜひ知りたいと思うのです。

 残念ながら、300年後には誰も生き残っていません。
 ただ、今日の自然科学者たちの残した知識体系だけが生き残っています。
 自然科学を学ぶということは、そういう虚無感を覚える機会でもあるのです。