マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

政治と大衆煽動とが

 政治と権力闘争とが、しばしば混同されるように――
 政治と大衆煽動とが混同されているように思います。

 ここでいう「大衆煽動」とは――
 政治家や政治団体が、特定の思想や信条を基に、持論を広く社会へ訴えかけることです。

 この「広く社会へ訴えかけること」が政治であると考えている人――あるいは、考えているようにしかみえない人――が、決して少なくないように思うのです。

 政治とは――
 社会を構成する全ての人々が、互いに妥協や譲歩をしあうことで、まずまずの落ち着いた暮らしを続けていくことができるようにする営みのことだ――
 と、僕は考えています。

 そうした営みの中に、権力闘争や大衆煽動が含まれることもありますが――
 それらが政治の本質ではないことは、明らかでしょう。

 政治家を目指す人は、権力闘争の峻烈さや大衆煽動の華々しさだけに目を奪われることなく――
 どうすれば、社会を構成する全ての人々に「まずまずの落ち着いた暮らし」をもたらすことができるか――
 といったことにこそ、興味を持って欲しいものです。

 ここで注意しておきたいことは――
 権力闘争や大衆煽動に、何らかの華美の要素が含まれていることは、容易には否定しがたい事実だろう、ということです。

 生物種としてのヒトは、おそらくは、そうした華美の要素に、どうしようもない魅惑を感じるようにできています。
 そうした魅惑に弱い存在であるということに自覚的な人ほど、政治に向いているのだと思います。
 逆に、無自覚な人は、その分だけ、政治には向いていません。

 が――
 たぶん、そうしたことに無自覚な人も、かなりの勢いで政治家になろうとするので――
 それを阻止する仕組みが、何よりも求められるのです。

 そうでなければ、社会は安寧を保てないでしょう。